予期せぬニュースにより前回のJASRAC問題についての記事が拡散されていて驚いています。
恐らく今まで裏側からの情報は無かったと思うので賛否あると思いますが、こういった出来事があったことが参考になれば幸いです。
またはてブ、Twitterなどでも反響があり、様々なご意見をいただきました。
いくつかの点で回答を明確にしておく必要があると判断したので補足をしておきたいと思います。
※ご注意
- 経験した事実に基づいた記述ですが自身の正当性を主張しません。
競合する意見を否定するものではない事にご注意ください。 - 一部推論を交えています、推論は事実を保障しません、一つの可能性として考えてください。
- 個人の視野で把握した情報です、この情報のみをソースとせず誤りの訂正や別視点からの情報も併せて読んでみてください。
- サービスの勃興などについて正確な時期が不明な点など一部不明瞭な部分があることと、混乱を招きそうな記憶が曖昧な内容については記述を省きます。
別の意見や訂正、事実の誤認などについては記事内では訂正は行いません。
そういったご意見がありましたら是非別見解として意見を述べていただければ幸いです。
集約された情報が次の素晴らしいアイディアに繋がることを期待します。
どこで何を見てきたのか?
reasonofreason 「ある場所からその出来事を見つめていた人間のただの回顧録です。」どの場所なのか知りたい。初めて知った。ありがとう。
2000年初頭はフリーランスのSEとして受託開発や開発協力を行っていました。
インターネットの普及期であり、IT産業はまさにバブル。
自分が身を置いた某ベンチャーも広告配信の新鋭として立ち上げの段階でした。
当時は大手アフィリエイトも存在せず横並びの状態でスタートであったため、自らサービス会員の募集と成果報酬のシステムを開発していました。
自分が担当していたのがこの「会員の募集」と「成果報酬」の計算にまつわる部分です。
少人数であったこともあり、「稼働状態の監視」「不正の監視」「データベース管理」も兼任していたことで、結果的には事態の推移にまつわるデータとクライアントからのクレームやサイト運営者とのやり取りなどに一通りアクセス可能でした。
そういえばネット始めたばっかりの頃は着メロ配布サイトとかあったような記憶がぼんやりとある…
JASRACを怒らせた者たち -MIDI狩りの裏側で- https://t.co/xzW4zatiyK
— ねこまたなおみ (@nekomata) August 7, 2016
その場所から、一連の問題につながる事態の動向を見つめていました。
MIDI狩りは着メロ以前から存在したの?
NiftyやPC-VANの時代のことについては諸説あり、はっきりとしたことは当事者以外にはわかりませんので、もしその時代のことをご存じの方がいらっしゃいましたらどこかでまとめて頂ければ幸いです。
全国に草の根BBSが点在した時代においてはファイルの交換や再生については非常に制限が多かったため、取り締まられたというケースは噂程度にしか知りません。
どちらかといえば当時は不正コピーされたソフトの交換の方が盛んであり、ローカルなBBSにすらwarezがアップロードされていることも珍しくありませんでした。
ネット上でのMIDIを含む版権曲の公開については原則禁止であり、一部許可された(今でいう包括契約)場所以外での公開はすべてNGなことは当初から変わっていません。
korinchan NIFTYでのコピー曲の公開自体JASRACによって実験的に許可されたものだったので、JASRACがMIDI潰した史観には同調しないかな(インターネットでは元々ダメだったという解釈)。
知る限りJASRACが正式に版権曲のMIDIデータの公開を許可していたのはNiftyのMIDIフォーラムのみであり、それ以外の場所には存在できないはずでした。
これはネットワーク上でのMIDIファイルの取り扱いについて策定されるまでの経過措置であり、実態の調査が行われていた時期です。
しかし実際にはダウンロードされたファイルは各所に転載され、歯止めの効かない状態になっていました。
これだけでも相当に心象が悪い状況でしたが商用に制作されたMIDIファイルも放流される事態になり、JASRACやMIDIフォーラムに協力したヤマハとローランドの期待は完全に裏切られてしまいました。
chintaro3 Niftyで育ってたMIDIフォーラムを、インターネットに移行させる事に失敗(断念)した運営者の方が問題だったと思う。JASRACがダメ押しになってしまったが、どの道似たような結果になってたと思う。
MIDIフォーラム自体非常に価値のあるものでしたが、取り扱いの難しい版権曲のデータなどが拡散した場合の責任の所在は誰の手にも余るものだと思います。
どのみち似たような結果になってたについてはその通りだと思いますが、無制限に転載されてしまう状況の中でその重責を引き受けられる人など存在しなかったのではないかと思います。
個人で契約をしてまで公開を可能にしようと努力していた方がいたことも存じておりますが、そもそも当時のJASRACにネットワーク上でのデータの取り扱いや対個人にスケールの小さな契約をするという事例も規定もなく、時代の変遷に全く追いついていなかったのが実情です。
(よって配信業との競合回避には原則禁止しか選択肢がなかった。)
MIDI狩りは着メロ問題の以前からあったかという件については、版権曲については取り締まりは存在していたが、無差別ではなかったと思っています。
オリジナル曲の公開停止について
この事例も噂には聞いていますが、具体的にどなたが通達を受けたのかについては見つけることが出来ていません。
しかし最近面白い事例が話題になっていました。
さっき日本音楽著作権協会から電話が掛かってきた。JASRACね。9月の西宮公演の著作権使用料を申告しろ、という内容でした。千年前の音楽には著作権はありませんよ、と教えてあげました。めちゃめちゃ上から目線の担当者は雅楽をがらくと読んでました。勉強しろよ。
— 岩佐堅志 (@sokohjo1) December 12, 2012
ここにヒントがあると考えます。
これは完全な推論ですが、版権曲のスクリーニング作業の際にMIDIファイル名が版権曲と同じタイトルであった、あるいは過去に版権曲のアップロードで使用されたファイル名と一致したなどの理由で公開停止を求められた可能性が考えられます。
担当者から見て「公演」というくくりで内容を確認しないことからも、「版権曲名」というくくりで内容を確認せずに差し止めを求めるといったいい加減な対応があったのでは?と現在ネット上に散在するログからも想像ができます。
(何より当時の情報リテラシーは恐ろしく低かった)
事実の確認は私個人ではできませんでしたが、あり得たと思います。
MIDI文化の崩壊
インターネット普及期以降、MIDIファイルの需要は急激に減退していきました。
NAPSTERやWinamp、mp3の登場によりオーディオデータの流通が現実的なものとなり、ネットワークの高速化によりダウンロードの制限も取り払われてしまったからです。
パソコン通信時代の古参ユーザーよりインターネット以降のユーザーの方がはるかに人数が多く、その大半はMIDI音源そのものを知りません。
古い言い方をすればリッチメディアの配信に障害が無くなったことによって、MIDIファイルの重要な役目の一つは終わりを告げていたと思います。
そしてもう一点は公開サイトの消滅の問題でした。
weekly_utaran 丸上げの違法サイトだけを取り締まるのならまだ良かったんですけどね、結局MIDIがあれば全部違法だみたいなことをしてしまったのが悪手だった感じです 76 clicks
JASRACからのMIDI公開者への通達によってマインドが冷え込んだのは事実です。
しかし、これはあくまで版権曲の公開についてであり版権曲を公開さえしなければ存続は可能でした。
レトロゲームサントラ推進協会さんは版権曲に該当するドラゴンクエスト関連の作品を公開停止にしたことで存続されておりました。
一時ほとんどのファイルを公開停止にしたり、サイトが大幅に縮小された時期を経て現在に至るまで大量のデータを保有しながらも通達は受けなかったそうです。
この一件で、日本の音楽文化がぶっ壊れたんだよね。
うちは、ドラクエとかのJASRAC管轄曲は全て削除してたから警告来なかったけど。— T.E.ko@続レゲサン♪推協 (@NiMnTko) August 7, 2016
JASRACからの通達メールの内容があまりにもショッキングであったことと、オリジナル曲まで公開停止にされた、使用料が請求されたなど、複数の情報が入り乱れたことで事実がどこにあるのかを多くの人が見失ってしまっていたのではないかと思います。
肝心のJASRACに問い合わせても要領を得ない回答しか得られず、公開するなら契約してねという対応に業を煮やした人も多かったはずです。
通達と同時期に先の記事で書いた着メロ配信問題の発端となった一連のサイトが閉鎖に追い込まれたこともそういった状況に信憑性を与え、不安と混乱の中でMIDIに関連したコミュニティは一気に崩壊してしまったのだと感じています。
shibacow 害獣を駆除するつもりが生態系ごと破壊した話。害獣を駆除するためなら生態系を破壊して構わないという組織文化があるという認識で良いのかしら?そんな組織に2次創作は任せられないという話になりますが。
この点については確かに「もう少しやり方はなかったのか」と思います。
同時に複数の着メロ配信サイトが合計で1,000万以上の利益をたたき出していた状況を鑑みれば、JASRACと契約して配信業をしている着メロベンダーの保護に動くのも止むを得なかったという思いもあります。
害獣に畑の作物を全部食べられちゃった時、みんなはどうしたらいいと思う?(´・ω・`)
険しすぎた再生への道
衰退の因果が分からん ココも書いて欲しい>、新しい時代に即した権利保護の在り方や、配信の在り方、草の根活動でも作品に利益を産むための仕組みや考え方が発達したとも感じています。:JASRACを怒らせた者たち -MIDI狩りの裏側で- https://t.co/0IYKx5QDIs
— へにゃ (@henya_kun) August 8, 2016
XG規格を制定しMIDI音源を発売していたヤマハは早い段階からアマチュア音楽家に向けた独自のネットワークを構築していました。
現在はなくなってしまった「プレイヤーズ王国」です。
MIDIフォーラムの取り組みに前後して、プレイヤーズ王国では版権曲の公開が可能になる月額サービスを開始しました。
(正確な時期を記憶していません、補足できる方是非お教えください。)
これ以降JASRACとの契約を持ち、版権曲の取り扱いが可能であることを明記したサービスも僅かに拡大していきます。
ブログスタンドやSNSなどが独自に進化する中で経験してきた有名人の肖像権の問題や著作権の問題などの事例が経験として反映され、一般ユーザーからは著作権の取り扱いについて問題になりにくい環境へと改善されていきました。
muzieなどのインディーズアーティストを支援するサービスも進化しながら徐々に増え、その道を目指す人たちが飛び込める環境も拡大しました。
こうした取り組みの中から非商用配信の明確な規定が設定されたり、自らの演奏の公開については規定が柔軟になったりと緩やかにではありますが音楽を取り巻く環境も自由を取り戻しつつありました。
(包括契約自体の問題は別として、ユーザーにとっての自由度は確実に増した)
しかし、失われてしまった情熱がMIDIに戻ることはありませんでした。
そして女神はやってきた
2007年、Youtubeとニコニコ動画に衝撃が走りました。
ヤマハの名機DX7ライクなデザインの衣装を身に纏い、愛らしい歌声を伴って初音ミクが登場したのです。
PC-6601の復活だと騒いだ人がいたとかいないとか、その辺はどうでもいいや。
初音ミクはとりわけ若い世代に受け入れられ、その存在感を急激に増していきました。
この背景には無料で視聴できることや、そのキャラクター性による人気、コストが安いことによる気軽さなど複数の好条件があったのだと思います。
ベンダーであるCRYPTON社による積極的な二次使用ガイドライン公開や、ピアプロといったクリエイターマッチングが素早く用意されたこともコンテンツの拡大に大きな力を与えました。
延いてはキャラクターや作品の利用に対する一つのモデルとして大きな一歩を踏み出したのではないかと思います。
この現象はその後も急激に拡大し、版権曲のカバーのほかに初音ミクのオリジナル曲が次々と投下されるようになりました。
オリジナル楽曲の制作を開始するアマチュアが増加し、その結果長い間沈黙を続けていたDTM界隈に活力が感じられる程に息を吹き返したのでした。
誰かが言った「初音ミクはMIDIを復活させた」という言葉は、それまでに経てきた多くの犠牲から文化の再生までの道のりを歩んできた人の心からの言葉だったのだと今は思います。
未来のために
大きな問題となったMIDI狩りはたくさんの物を奪い去りました。
これは曲げようのない事実です。
しかし、そうなるまでに繰り返されてきた不正なコピーと着信メロディを利用した海賊配信行為等の数々の問題が導いた結果でもあります。
体制が整わないうちに時代はどんどん進んでしまって、追いつけない状況でも事態を収拾するために取った方法が「皆殺し」だったのだと思ってる。
— みるくここあ@代表取り締まられ社畜 (@milkcocoa_org) August 9, 2016
当時の環境では無数に存在するファイルの中から著作権に問題のあるファイルをスクリーニングすることは不可能でした。
ファイルが拡散していくスピードよりJASRACが追跡するスピードが遅いのは明白で、その中で着信メロディという新しいサービスが状況を切迫させていたのです。
状況が悪くなればなるほど、その対応が急激に先鋭化していったのは数々のログが示す通りです。
著作権についてはJASRACに預けるか否かに関係なく、一度JASRACに出向いて著作権についての説明、講習を受けられることを勧めます。事前に電話して予約すれば無料で丁寧に資料付きで講習してくれます。これは音楽を作るならば決して損のないことです。
— K Masera:春M3 K-07b (@K_MASERA) August 7, 2016
形のないものに対する権利という考え方自体馴染みのない人には理解しにくい感覚でしょうし、これだけ環境が整備され情報が得られる時代になっても問題はまだなくなりません。
ただMIDI狩りという単語に対して抱く様々な感情と同時に、一連の権利問題がそれに対して影響を与えたこと。
一度壊れてしまった環境を再生するために多くの人の知見と努力があったことを心のどこかに置いて頂けたらな、と思います。
そして、改善された環境がどうしたら保存できるのかを考え、自分たちが正すべき部分はないのかを顧みることが出来れば権利者と利用者の間により良い関係が築けるのではないかと思います。
もちろん音楽以外の分野でもね。
長文になってしまいましたが、私が知りえたことは全て書ききったと思います。
これが補足になるか蛇足になるかは分かりませんが、誰かのお役に立てば幸いです。
みなさんの音楽ライフと次代の創作環境が素晴らしいものでありますように。
MIDIが消えるに至った出来事を時系列を追って真実を探る連続記事を作成しました。
時代の変遷や関係者の動向なども含めより詳細な情報をご覧になりたい方はこちらをどうぞ。
ミクさんの登場するとこ涙不可避