21世紀になって間もない頃。
まだMIDI音源が全盛であった時代のDTM界に突然の荒波が押し寄せました。
後にMIDI狩りなどとも呼ばれるようになったJASRACによる権利侵害サイトへの一斉申し立てが行われたのです。
大手MIDIデータ配信サイト等が真っ先にその通達を受け、それを公表したことでそれらに関係したフォーラムや界隈の人間を巻き込んだ一大事件へと発展していきます。
権利侵害の通達を恐れた多くのサイトやMIDI作成者はファイル公開を取りやめサイト閉鎖を行う人も多く、MIDIファイルによる音楽データの交換や耳コピーなどのジャンルは一気に勢いを失ってしまいました。
あの時なぜJASRACはMIDI狩りと呼ばれるほどの大鉈を突然振るったのでしょう?
あの決断が音楽業界を衰退させたという声も多いですが、本当にそうなのでしょうか?
これはネット上から集めた情報ではなく、ある場所からその出来事を見つめていた人間の回顧録です。
どう判断されるかは読んでいる方にお任せします。
2019.01.03 – 追記
MIDIが消えるに至った出来事を時系列を追って真実を探る連続記事を作成しました。
時代の変遷や関係者の動向なども含めより詳細な情報をご覧になりたい方はこちらをどうぞ。
高速ネット社会の前夜
パソコン通信の時代から時代は確実に進んでいました。
携帯電話が当たり前の様に普及し、どこにいてもネットワークに接続できる環境が確立されつつありました。
インターネットに接続できる環境が拡大し、かつてはクローズドな環境で細々と行われていたMIDIファイルの交換もグローバルなネットに進出していました。
MIDI音源が無ければ再生ができなかったMIDIファイルは一部のマニアの為のものであり、一般人には無縁のものでした。
しかし、Windowsパソコンの普及とインターネット利用者の急激な増加によりその状況に変化が現れます。
Software GSやQuickTimeなどによるMIDI再生環境が拡大したからです。
音質的な話や再現性の話は別として、利用者が拡大するという事実に対し由々しき事態であるという見解が発生したのはこの頃でした。
携帯電話の普及と着メロ人気
インターネットの普及を追うように携帯電話の利用者数もまた拡大の一途でした。
当時はまだ機能的にも弱い携帯電話でしたが、小さい画面ながらもネットに接続してケータイサイトなどと呼ばれる携帯向けのサイトも多数運営されていました。
そして携帯電話利用者の拡大はトレンドを牽引するようになり、よりファッショナブルに、より楽しくと機能を拡大していくことになります。
その中で産まれたものが着メロ機能でした。
まだストリーム再生やMP3などのファイルを本体内に保存できる程の容量の無い携帯電話で可能な限り高音質なサウンドを再生する方法として携帯電話に求められたものは軽量なデータと再生の為の音源。
YAMAHAのMAシリーズとSMAFファイルでした。
SMAFファイルは単純に言えばMIDIファイルの亜流フォーマットであり、MIDIファイルを作成できる技術があれば変換ツールによって簡単に変換ができました。
まだ4和音のMA-1の世代は携帯電話に自分の手で直接打ち込みをする程度のものでしたが、世代が進むにつれ発音数とクオリティも上昇していきました。
それに歩調を合わせるように、携帯各社から目玉サービスの一つとして着メロ配信というサービスが拡大することになりました。
Webメディアの拡大とブロガーの出現
携帯電話とインターネットの普及により急激に拡大した新市場に様々なベンチャーが名乗りを上げて行きました。
その中でもWeb広告のジャンルは混迷を極めていたと記憶しています。
当時はまだ主にバナー広告が主体でしたが、より詳細にターゲッティングが可能な広告を求めて様々なサービスが展開されていました。
かつて携帯電話がシェア争いの為に無料で端末を配っていた時の様に、サービスのシェアを拡大するためには手段を厭わないレベルの戦いに発展していきます。
莫大な費用を投下することで有力な情報発信者に集客を依頼したり、高額なインセンティブを付けた広告を配信することで様々な場所に広告を貼ってもらおうと躍起になっていました。
この辺りから一般の利用者の中にも意識の変化が見られるようになってきていました。
「ブログは金になる。」
これが情勢のバランスを大きく崩して行くきっかけになって行きました。
収益化の魔力
こう行った変遷の中で、MIDIデータ配信サイトの一部がSMAFへの変換をはじめ携帯電話に向けて耳コピーした楽曲を公開するようになっていました。
最初は携帯電話で聴ければ聞いてくれる人が増えるのではないか、その位の意識だったのだと思います。
とある大手サイトもSMAFの着メロで人気を博していました。
そう言ったサイトにも広告配信の営業は行われ、広告の掲載をする人が増えて行きました。
人気サイトに掲載された広告は当然の様に実績を上げました。
黎明期の高額報酬もあり、初期の段階ですら月間30万円以上の広告収入を得た人が何人もいました。
そこまでの効果があるとは思っていなかったのでちょっと驚きでしたが、やがてそれは50になり100を超えるまでに至る人も現れました。
流石におかしい、何か不正があるのでは?そう疑われることもありましたが、ヒアリングの結果「問題なし」と判定されそのサイトは優良な配信先であると認識されました。
この「問題なし」こそが「問題大あり」であった事に気が付いたのは事件が起きてからでした。
存在しなかった「倫理」
黎明期の高額インセンティブが終了しても、大手への報酬支払額はそれなりの金額を維持していました。
しかし、今度はその大手サイトなどに対してクライアントからのクレームが入るようになりました。
それは有料で配信している着メロを無料で配信している者がいるというものでした。
着メロを配信しているベンダーはJASRACとの契約を結び、著作権使用料を支払ってサービスの運営を行っていました。
そのサービスを拡大するために広告を打っているのに、その広告を掲載しているサイトが無断で着メロを配信しているとなれば当然問題になります。
そこで再調査された結果、高額報酬の源泉が何だったのかが明らかになりました。
広告をクリックしたら、サービスに登録したら新曲着メロを差し上げます。
〇〇で配信予定の〇〇の着メロを先行してプレゼント。
こんな事が公然と行われるようになっていました。
元はただの耳コピーMIDIデータの配信サイトだった大手も同様の事をしていました。
この事は着メロ配信ベンダーの間で問題となりました。
これをきっかけにさらにマズい問題が幾つか浮上してくることになりました。
それは広告収入を得ていた者の一部に仕事で制作していたデータ改変して自身のコンテンツとして発表していた者がいたことと、カラオケデータの納品をしていた人の中にも同じように仕事のデータを流用してサイト運営を行っていた者がいたことでした。
着メロ配信サイトとそれぞれのやり取りについては伺い知ることはできませんでしたが、この問題がJASRACの知る所になったのはこのことがきっかけであったと言っても過言ではないと思います。
見過ごせなくなった収益
こういった付加サービスをつけて広告を配信していくシステムから生み出される収益は見過ごせるレベルを既に大きく超過していました。
年間数百万円の収益を楽曲コンテンツから生み出している人もいたからです。
着メロ配信各社とJASRACの動きについて察知した一部があわただしく動き出して間もなく、広告配信の打ちきりを検討するという話が持ち上がりました。
サイト運営者に求める倫理についての議論が活発になったのもこの頃ではなかったかと記憶しています。
程なくして、JASRACから大手サイトに向けての勧告第一報が発されることになりました。
それを受けて広告配信の在り方や一部のサイトに対しての配信打ち切りなども行われ、大混迷を極める騒乱になって行きました。
消えた物と産まれた物
この事によりMIDI文化は消えてしまった、音楽の発展が遅れたという声は多く、ファンの一人であった自分もその声を否定することは出来ないと思っています。
同時にこの措置が無いまま野放図に現代に続いていたらそれこそ業界は無くなってしまったのではないかとも思います。
これをきっかけにMIDIを中心にした文化は衰退してしまいましたが、新しい時代に即した権利保護の在り方や、配信の在り方、草の根活動でも作品に利益を産むための仕組みや考え方が発達したとも感じています。
権利に対する考え方はまだまだ未熟であり、第二第三の事件が起きることもあるかもしれません。
他者の権利を蔑ろにする限り、自らの権利もまた安く扱われてしまう。
多大な犠牲を払って再生した文化の芽を再び枯らしてしまわないように、考えて行くべきことはたくさんあると思います。
ノンフィクションでお送りしました。
一部の推測以外は出来るだけ主観にならないよう注意したつもりです。
ヒアリング内容や一部に伝聞が含まれるため100%正確であるとは断言できませんが、ほとんどは確認している内容です。
ただの回顧録ですが、誰かの役に立てば幸いです。
2016.08.09 – 追記
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