2001年にJASRACによって行われたMIDI狩りと呼ばれる出来事についてそこに至るまでの電子楽器やメディアの変遷と、法改正や社会の潮流を俯瞰して何があったのかを検討するシリーズ記事です。
年表内のリンクから年代ごとの出来事についてその動きを追えるようにしてみました。
関係団体や当時のユーザーへのインタビュー、スタンダードの交代など様々な出来事を経て成立したインタラクティブ配信規定は本当に文化を殺してしまったのか。
ご意見やご感想、当事者であった方からの情報提供などもお待ちしております。
1970年代
1970年 – 昭和45年
著作権法改正
1973年 – 昭和48年
文化庁第2小委員会 報告書
1974年 – 昭和49年
ヤマハシンセサイザー第一号 SY-1発売
タイトー が日本初と言われるレースゲーム、スピードレースをリリース
1975年 – 昭和50年
世界初のパーソナルコンピューターAltair 8800発売
ヤマハシンセサイザー GX-1発売
1977年 – 昭和52年
Rolandシーケンサー MC-8発売
精工舎が国内初のマイコンSEIKO-5700を発売
米AppleがApple IIを発売、大好評を得る
1978年 – 昭和53年
タイトーが日本中を熱狂させたスペースインベーダーをリリース
1979年 – 昭和54年
ナムコがギャラクシアンをリリース
NECがPC-8001を発売、国内機初のヒット商品となり80年代のパーソナルコンピューター時代の先駆けとなる
1980年代
1980年 – 昭和55年
ナムコがパックマンを発売、世界中で大ヒットとなる
1981年 – 昭和56年
主要楽器メーカー6社によってMIDI規格が策定される
文化庁第5小委員会 報告書
米IBMがIBM PCを発売、Appleのシェアを奪い取る
NECがPC-6001を発売、PSG音源の搭載と合成音声の発音ができた
1982年 – 昭和57年
パソコンサンデーが放送開始、社会的にパーソナルコンピューターへの認知が本格的に拡大する
SHARPがパソコンテレビ X1を発売、富士通がFM-7を発売しNECを含む御三家時代が始まる
1983年 – 昭和58年
ナムコがゼビウスを発売、パックマンと並ぶ金字塔として大ヒットとなる
任天堂がファミリーコンピューターを発売、一部のパーソナルコンピューターを駆逐する
HAL研究所がPSGサウンドボードGSX-8800を発売
アスキーを中心にMSX規格が提唱される
NAMMショーにてProphet600とJX-3PをMIDIで接続し演奏するデモが行われる
ヤマハシンセサイザーDX7が発売、大ヒットシンセサイザーとなる
1984年 – 昭和59年
米AppleがMacintoshを発売、8月にIBMがPC/ATを発表する
日本最古のBBSとされるCANSが千葉県松戸市で開設される
坂本龍一氏・小室哲哉氏等も使用したE-Mu Emulator IIが発売される
Rolandから事実上標準のMIDIインターフェイスとなるMPU-401が発売される
1985年 – 昭和60年
ヤマハが音楽制作に機能を特化したMSX規格のCX5を発売
カモンミュージックがPC98シリーズ向けレコンポーザーを発売
赤井電機株式会社(現 AKAI Professional)がサンプラーS612を発売
電電公社が民営化、電気通信事業法が改正されモデムが家庭で使用可能になる
ASCII-NETやCOARA等のポータルBBSが続々とサービスイン
KONAMIがグラディウスを発売、BGMが大人気となる
1986年 – 昭和61年
後に最大のポータルとなるPC-VANがサービス開始
AKAI S900が発売、大ヒットサンプラーとなる
SEGAがアウトランを発売、ゲーム・BGM共に大人気となる
1987年 – 昭和62年
SHARPがX68000を発売
PC-VANと並び二大ポータルとなるNifty-Serveがサービス開始
RolandがLA音源 D-50、MT-32を発売、MIDIの普及がはじまる
1988年 – 昭和63年
MT-32とインターフェイスをバンドルしたミュージくんが大ヒットしDTMという単語を知らしめる
YAMAHAミュージックコンピューター C1が発売
milk氏により内蔵音源向けサウンドドライバMXDRVがリリース
電子ネットワーク協議会が設立
パソケットがスタートし、BBS流通のみだった楽曲データが即売会で販売されるようになる
1989年 – 平成元年
梶原 正裕(かぢゃぽん)氏によるPMDドライバがリリース
富士通がFM-TOWNSを発売
PCゲームとしてMIDIによる音楽再生に初めて対応した「38万キロの虚空」が発売
1990年代
1990年 – 平成2年
PMDと並んで人気を博すFMPドライバが長井”Guu”理氏によりリリース
日本IBMが日本語に対応したDOS/Vをリリース、日本でもPC/AT標準化がはじまる
1991年 – 平成3年
RolandからSC-55が発売、大ヒットし事実上の標準機となる
スタンダードMIDIファイルフォーマット(SMF)が推奨規格として提唱される
GM Level1が推奨規格として提唱される
wwwの誕生、インターネット時代のはじまり
日本のBBSにおけるMIDIの発信地、ゆいNETが開局される
メガCD、PCエンジンDuoが発売、コンシューマーゲームのCDメディア移行がはじまる
1992年 – 平成4年
第一興商・エクシング・タイトー・日本映像情報システムから通信カラオケが発売される
1993年 – 平成5年
Roland SC-55mkIIが発売、ミュージ郎55としてヒットする
インターネットブラウザ Mosaicがリリースされる
文化庁著作権審議会第9小委員会 報告書
1994年 – 平成6年
CreativeがE-Muのサウンドモジュールを搭載したSoundBlaster AWE32を発売し、パーソナルコンピューターの内蔵音源時代が終焉
1995年 – 平成7年
Microsoft Windows 95発売、GUIが標準の時代がはじまる
NTTがテレホーダイをサービスイン、インターネット普及率を上昇させる
1996年 – 平成8年
佐々木 隆一氏がネットワークでの著作権使用料についてJASRAC・文化庁と勉強会を開始する
通信カラオケにおける著作権使用料についてJASRACと事業者団体が暫定合意
1997年 – 平成9年
ネットワーク音楽著作権連絡協議会が発足、以降ネットワークでの音楽使用について協議の中心を担う
Winampが登場しmp3がデジタル音楽のフォーマットとして世界的に普及する
PC-98シリーズがFM音源の搭載を終了し、FM音源標準搭載のパーソナルコンピューターが無くなる
1998年 – 平成10年
Microsoft Windows98発売
WIPOにより著作権法 附則14条の廃止勧告を受け審議会が検討を行う
1999年 – 平成11年
Napsterがサービスを開始、大ブレイクと共に世界中の音楽業界がシェアリングの脅威に対応を先鋭化する
携帯電話向け音源YAMAHA MA-1が発売、SMAFフォーマットと共に着信メロディの新時代がはじまる
2000年代
2000年 – 平成12年
Napsterが敗訴しサービスを停止する、僅か一年で音楽業界の売上を40%消滅させる
2001年 – 平成13年
インターネット上での音楽利用に関する著作物使用料の徴収が開始、後にMIDI狩りと呼ばれる
参考文献・資料
文部科学省
教育白書
外務省
世界貿易機関(WTO)
公益財団法人著作権情報センター
著作権審議会/文化審議会分科会報告
PC-VAN小史
藤本健のDTMステーション
魔法使いの森
MMLの成立
ぐうたらずのーと
サウンド機能の歴史
電子ネットワーク協議会
各種資料及び情報の照会
NMRC
各種資料及び情報の照会
AMEI
各種資料及び情報の照会
新世代通信網実験協議会
季刊誌BBCC – インターネット時代の著作権問題
日本レコード協会
調査・レポート各種資料
全国カラオケ事業者協会
カラオケ歴史年表
カラオケ白書
協会ニュース
日高良祐氏
音楽配信事業者としての電子楽器産業
DTM文化の盛衰─1990年代のアマチュア・ミュージシャンによるMIDIデータ流通─
メディア技術史から見る同人音楽──パソコンユーザーによる即売会の利用
電波新聞社
BBS電話帳
インプレスR&D/OnDeck編集部
日本の電子出版を創ってきた男たち: この声を聞かずして、電子出版を語るなかれ。
日本弁理士会
月間パテント – 近年の音楽業界をとりまく著作権上の問題に関する研究
藤本 健氏
DTMの原点 Vol.1
DTMの原点 Vol.2
DTMの原点 Vol.3
アンケートにご協力くださった皆様
DMで情報をご提供くださった皆様