失われた音楽文化、30年の時を越えて – Part5

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1980年代はMIDI規格の制定から徐々に環境が整い、85年のレコンポーザーの登場以降定番のフォーマットとなって、制作環境としてミュージくん・ミュージ郎のSinger Song Writerが受け入れられていきました。

内蔵音源は変わらずMMLですが、御三家のハードウェア仕様がほぼ固まってきたこともあり、流通ファイルの再現性は向上していきました。

大手のサービスイン以降草の根BBSの開局も相次ぎ、有力な草の根BBSがその名を広く知られるようになっていきます。

元号が平成に変わった1990年代、その沿革を追っていきましょう。

二つの新たなスタンダード

1991年(平成3年)、MIDI規格に新たな推奨規格が追加になります。

一つはスタンダードMIDIファイルフォーマット、通称SMFです。
これはMIDI形式の演奏データを格納するための標準ファイルフォーマットです。
各社のシーケンサーは独自のデータ形式であることが多く、結果的にMIDIで標準化されても環境移行には弱い状態でした。
SMFを推奨仕様とすることでデータ移行が容易になり、ハードウェア環境のリプレースやデータ交換が容易になることが予想されました。

が、実際にスタンダードMIDIファイルが文字通りスタンダードになるにはしばらく時間が必要でした。

もう一つがGeneral MIDI Level1、通称GMです。
これまでのMIDI音源はMT-32が出現するまでモノフォニックであったり、独自のシンセであったりとMIDIという共通言語をもってしても再現性がない(場合によってはパラメーターが不一致する)状況でした。
マルチティンバー音源が登場し1ユニットで1曲をカバーできるという状況が出来たことによって、本格的に互換性を高め異なる機種でも再現性を維持できるように音色配列・同時発音数やコントロールチェンジによる出力変化まで規格化しました。
これによりGM以上に対応する音源ならとりあえず同じ音色で鳴らせる所までの再現性確保を達成することになりました。

特に重要なのはこのGM規格の決定で、今後発売されるパーソナルユース向けのMIDI音源の購入に心理的な抵抗感がかなり軽減できたのではないかと思います。

同年にRolandはGMを更に拡張したGS規格を提唱しています。
草案自体はGSが先行しましたが、MMAが組織として推奨したのはGMでした。

SC-55の登場

同じく1991年にRolandから事実上のスタンダードと呼べるMIDI音源、SC-55が発売されました。
MT-32と同じくマルチティンバー、GM規格に準拠した音色配列に旧来の音源よりも高いクオリティのPCM音源を搭載していました。
勿論サンプラーにはまだ及ばないものの、69,000円という低価格であったため非常によく売れたといいます。

音源のクオリティ、安心して仕様できるGS規格とあってPCゲームでのMIDI音源対応はMT-32とSC-55が標準となっていきます。
これにより92年以降のゲームタイトルの多くがSC-55での音楽再生に対応していきました。
結果としてホビーユーザーの需要も喚起され、SC-55の支配は決定的なものとなりました。

1993年(平成5年)にはSC-55mkIIが発売されます。
この音源もまたミュージ郎55としてパッケージ販売され広く普及しました。

World Wide Webのはじまり

1991年(平成3年)、wwwにはじめてのウェブページが誕生しました。
同年12月にはJNICが創設され、JPドメインの管理を行うようになりました。

90年代のMIDI音源といえばここ、と呼ばれるゆいNETが開局したのもこの年でした。
後期には20,000人以上が参加した草の根BBSの中では最大手の一つです。

MIDIに特化し、多くのDTMユーザーが参加していました。
プロの参加も多く、またここからプロになった人も多くいました。

1992年には国内初のISP(インターネットサービスプロバイダ)としてAT&T Jens株式会社が接続サービスをローンチします。
しかしこの時点ではまだ加入者は多くありませんでした。
大学系のJUNETを中心に使用されていたUnix環境以外の国内の環境は殆どがMS-DOS系のCUIであり、まだインターネットブラウザというものが存在していなかったからです。
国内のこの状況はまだしばらく続き、パソコン通信が存続していく事になります。

通信カラオケの登場

1992年(平成4年)、第一興商・エクシング・タイトー・日本映像情報システム(現:ユーハート)から通信カラオケが発売されました。
MIDIを使っていた人にはなじみ深い音が聞こえたりして思わずニヤりとした人も多かったのではないでしょうか?

バブル経済の終焉による急激な景気悪化の中にあってもカラオケの人気は絶頂にありました。
安く楽しめる事という後ろ向きな理由ではありましたが、結果的にこれは音楽と産業を助ける方向に働きました。
シングルCDのミリオンセラーが続出し、また楽器メーカーの製品供給先が増加したことで少なからずカラオケに支えられた部分がありました。

1993年(平成5年)の文部省の教育白書には「我が国でもっとも盛んな文化活動はカラオケである」と記されるほどの人気で、ピークとなる95年には5,800万人ものカラオケ人口がいました。

これらの人気を支えたのはCD、LDカラオケではフォローされなかったメジャータイトル以外の楽曲まで広くカバーした品揃えに他なりません。
ヒットタイトルをいかに早く配信するか各社しのぎを削りながら、同時にタイトルの拡充にも努めていきました。
これだけの大量のデータ作成を支えたのは多くのMIDI作曲家でした。

とりあえず、一つ当時の話として言えるのは、あたし自身の活動として野良ですごくMIDIの扱いが上手い奴は、一本釣りでカラオケのMIDIファイル作成の仕事の斡旋をしていました。そして、「こんな優れたファイルは金になるから無料で配ってんじゃねー、お前はミュージシャンとして自殺してんのわかってんの?」と言って、仕事を斡旋する条件としてサイトを閉じさせていました。あたしはJASRACじゃないけど、あたしみたいな一本釣りしてたファイルチェッカーは当時多かったはずですよ?

葵真碧(mao aoi) @maochin39blue

この頃からアマチュアからプロとして方針転換する人がにわかに増えていきました。

コンピューターと創作のジレンマ

1993年(平成5年)11月。
1973年の6月に文化庁第2小委員会が提出した報告書から20年が経過しました。
コンピューターの台頭により情報化が進む事で情報の法的保護の重要性が高まるとした報告書の内容が、いよいよ現実のものとなっていました。

文化庁 著作権審議会第9小委員会はコンピューター創作物に関する報告書を作成しました。
急速に進行する環境変化に検討は広範囲に渡ったとみられ、実に昭和61年から34回の会議を経ての報告となっています。

コンピューター作曲の実態としてFM音源やサンプラーを使用し、MIDI規格の楽曲データの作成などについて言及され、機器のコストダウンによりユーザー層が拡大し、専門知識が無くても作曲や演奏が可能になったとまとめられていました。

これはこの時点で市場規模・参加者の減少が見られない事を示しています。

報告書の第三章 3にはコンピューターにおける創作物の評価について次のように纏められています。

3 既存の素材を利用して作成されたコンピュータ創作物の評価について
(1) 既存の著作物を入力して、コンピュータ・システムによってそれに処理を施す場合に、結果物を新たな著作物又は二次的著作物と評価するためにも、2の(3)において述べたと同様に、人の創作的意図、創作的行為及び結果物の表現の三つの要件を充たすことが必要であるが、この場合特に、創作的寄与が結果物に外形的に表現されていることが重要であり、それが認められなければ、複製物又は単なる変形物(注)と評価するしかないと考えられる。複製物又は単なる変形物か二次的著作物かあるいは新たな著作物かの評価については、一般の著作物の場合と同様、結果物の外形における類似性と付加された創作的表現の有無や程度に基づいて判断してよいと考えられる。

一般的に言えば、1)ほとんど既存の著作物を利用したのみで、何ら創作的な表現が付加されていないものは、複製物又は単なる変形物、2)既存の著作物の表現に依拠していることが外形上推知されるが、新たな創作的表現が付加されているものは二次的著作物、3)既存の著作物からアイディアその他の示唆を受けてはいるが、外形上既存の著作物の表現が推知されないような独立の創作的表現となっていると認められるものは新たな著作物、ということになろう。
(2) 作成時及び結果物の利用における権利の働き方は次の通りである。
結果物が(1)1)の複製物又は単なる変形物となる場合は、その作成について素材となった既存の著作物を創作した原著作者の許諾を得る必要があり、結果物の利用については原著作者の権利のみが働く。

結果物が(1)2)の二次的著作物となる場合にも、その作成について原著作者の許諾を得る必要があるが、結果物の利用については二次的著作物の著作者と原著作者の権利の両方が働く。

結果物が(1)3)の新たな著作物となる場合は、その作成について原著作者の許諾を得る必要はなく、また結果物の利用についてはその新たな著作物を創作した著作者の権利のみが働く。
(3) コンピュータ創作物においては結果物の利用が原著作物の更なる改変を伴うことが考えられるが、(1)1)及び(1)2)の場合においては、原著作者の翻案・変形に関する著作権及び著作者人格権たる同一性保持権との関係が問題となる。

一般に、複製物又は単なる変形物若しくは二次的著作物の作成についての原作者の許諾に際しては、併せてそれらの利用についての許諾も行われることが多いと考えられ、その場合、それらの利用に伴い通常予想される改変についても同意を与えたものと解するのが適当である。したがって、結果物の利用者はこのような通常の利用に伴う改変について改めて原著作者の許諾を得る必要はなく、また、原著作者はその限りで同一性保持権侵害を主張することができなくなると考えられる。

もっとも、これらの場合も通常必要と考えられない改変や通常予想されない改変については、作成の際の許諾の範囲を超えることとなり、また、意に反する改変として著作者人格権が働くことがあることはもちろんである。なお、これらの利用条件等については、原著作者と二次的著作物等の著作者との間の契約において、あらかじめできるだけ具体的に定めておくことが望ましい。

– 著作権審議会第9小委員会(コンピュータ創作物関係)報告書

これは即ち、殆ど既存の著作物を利用したのみで創作的な表現が付加されないものは複製物、または単なる変形物と判断されるという事を明確に示しています。
つまり耳コピーデータは複製物であり原著作者の権利が働いて、複製を行った者の権利は働かないという事になります。

この検討結果により耳コピーを行った演奏データの権利が明確に示されることになりました。

1990年代に入り、物語は再び大きな転換点を迎えました。
MIDIに制定された新たな規格による標準化。
デファクトスタンダードとなるSC-55の登場。
通信カラオケとカラオケブームによる需要の拡大。
そしてコンピューターによる創作物と著作権のグレーゾーンが取り去られようとしていました。

この頃は91年から実施されているJASRACと電子ネットワーク懇談会における実態調査も引き続き行われている時期でした。
演奏データの著作権の考え方について文化庁が検討を行っている最中にもBBSには耳コピーデータは増え続けていました。

この時期になるとゲームハードにもCDの搭載が見られるようになります。
1991年にはメガCDとPCエンジンDuoが販売されます。
ゲームのサウンドにもCD-DAが利用されるようになり、大容量化によるアニメーション等のマルチメディア化が進行していきました。
他方アーケードゲームではまだチップチューンが主流であり、傾向が二分していくようになりました。

DTMにとっては初めて迎える大ブームの到来に沸いていました。
つまり90年代初頭においてもMIDI文化と呼ばれるものの喪失も、チップチューンの消滅も発生していなかったのです。
80年代に失われたと言われるものは90年代前半にはかつてない活況にありました。

答えを探すための旅はまだ続きます。

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みるくここあ
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ウィンドシンセを片手に曲を作っています、演奏するのも聴くのも好き。 ゲームとITと変な情報を拾ってくるのが得意。 色々とやっているらしいけど詳細はヒミツ。 オリジナル曲を公開しています。 http://www.nicovideo.jp/mylist/31704203 作曲風景の生放送もしています。 https://rainbowsound.cafe/rainbow-sound-cafe-live/ 音楽やDTMに纏わる話題を色々と書きます。

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