失われた音楽文化、30年の時を越えて – Part 1

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Original Photo by Juliane Liebermann from Unsplash

そこで何が起きたのか知りたかった。
それを知るには残された時間は少ない。

だから今始めるしかなかった。

30年の時を越えて、パンドラの匣の底見るために。

時代背景の整理

1980年代、JASRACはMIDIファイルを公開していたBBSを無差別に潰したという言説があります。

「自作曲MIDIしかありません(オリジナル曲専門BBSだから)」という返答に対して「一旦お支払いください。管理曲がないことが証明できたらお返しします」とふっかけて個人BBSホストに嫌がらせしてました。このことを1980年当時のDTM界隈で「MIDI文化を潰した」と言ってるのですよ。

ǝunsʇo ıɯnɟɐsɐɯ @otsune

これはインターネット以前の話であり、既に30年が経過している過去の話です。
これにより音楽文化の発展が遅れたとされる出来事ですが、これを指してMIDI狩りと呼ぶ向きもあるようです。

え?ずっと続いてるのは現状の話じゃなくてMIDI狩り当時のお話。そしてそういうシンセ買ったり音源買ったりしてた「やり込み層」の話じゃなくて。MIDI狩りで狩られた裾野の問題って、内臓音源前提でカバーやアレンジ曲して遊んでたような初心者が狩られたことが大きい。だからBugbearRさんもこういう話をしているんです。

きゃしゃん@てつや @chasyan

「JASRACがMIDIを潰したという流言」という本まとめの文脈におけるMIDIとは外部機器をコントロールする音楽規格のMIDIではなく「MIDI音楽」というジャンルなのはとっくに自明なのにこの言い草。これが通じると思ってるんだからほんと「お話にならない」ですね。

きゃしゃん@てつや @chasyan

これは大きな誤りであるため基準を別に求めます。

MIDI狩りと称される出来事について、スラッシュドットのログには以下のように記されています。

 2001年:JASRACがネット配信での料金徴収開始(いわゆるMIDI狩りの開始)

JASRACがMIDI文化を潰した論を歴史からひも解いてみる

これは私が経験した出来事とも符合しています。

2001年頃から個人運営サイトへの徴収が開始された事をMIDI狩りと呼称するのであれば、同じくMIDI狩りが行われ街頭の音楽が消されたとされる15年~20年も前の1980年代に一体何が起こったのか。

ここから始まる一連の記事について、一般的な出来事のみを取り上げていきます。
初心者・アマチュアの土壌が失われたという言説に対し高価な専用ハードを購入する・若しくはハードウェアを自作するレベルにある人は該当しない為です。
ローカルなネットワークや即売会頒布の製品など、正規のルートで拡散していないものについても取り上げません。

歴史の断片を辿る旅へ出かけましょう。

全ての始まり

この物語の始まりは1970年(昭和45年5月)、著作権法の改正にまで遡ります。

この年著作権法が全面改正されました。

第二条 – 7
この法律において、「上演」、「演奏」又は「口述」には、著作物の上演、演奏又は口述で録音され、又は録画されたものを再生すること(放送、有線放送又は上映に該当するものを除く。)を含み、「上演」、「演奏」、「口述」又は「上映」には、著作物の上演、演奏、口述又は上映を電気通信設備を用いて伝達すること(放送又は有線放送に該当するものを除く。)を含むものとする。

著作権法 昭和45年5月6日法律第48号

有線放送を除く「電気通信設備」を用いて伝達することに対し著作権が及ぶことがここに明記されることになりました。

後に続くJASRACによる街頭音楽の根絶、MIDI狩りといった文化の破壊行為と称される出来事はここから始まります。

昭和48年(1973年)

この時代にはまだパーソナルコンピューターという概念は存在せず、「コンピューターのパフォーマンスは価格の自乗に比例する」というグローシュの法則が成り立ち、産業の動向を支配していました。

機器の小型化もまだ進んでおらずユーザーは大型汎用機を指向し、一般家庭にPCがある図はSF映画やコミックの中の出来事でした。

そんな時代の中、昭和47年から1年間の時間をかけて慎重な審議を重ねられた文化庁第2小委員会の報告書が提出されました。

冒頭には以下のように記されていました。

1970年代のいわゆる情報化社会においては、従来の工業化社会にくらべ、相対的に物質の価格が低下し、情報の重要性が著しく増大した。
-中略-
情報の価値の増大によつてコンピユーターの普及と高度な利用が行なわれ、その進展がまた情報の価値を加速度的に増大させているのが、今日の特色であり、情報の法的保護が世界的な課題とされるゆえんもここに存する。
-中略-
著作権審議会(中川善之助会長)においては、このような認識に立つて「コンピユーターに関連する著作権問題」について検討することを緊急の課題と考え、第2小委員会(林修三主査)を設置して検討を行なつた。

– 昭和48年6月 文化庁第2小委員会報告書

1970年初頭、いまだパーソナルコンピューターという存在の無い時代においても情報技術の急速な進歩により現行の制度では追いつけなくなるという懸念をいち早く有していたことが分かります。

1972年9月末時点で国内の稼働コンピューター台数は14,806台という具体的な調査報告も資料には記されており、日本の情報産業のまさに夜明けであった事が伺えます。

有識者によって1年間検討された内容の中に著作物の複製について様々な観点から検証されたことが記されています。

  • パンチカードへの記録を複製と認める判断
  • 外部記憶装置への記録を複製と認める判断
  • 内部記憶装置への記録は瞬間的に消えるものであり知覚不能なので複製と認めない判断

それぞれについて国際基準や反対意見を含め検討を行っています。
これらは後に法改正や司法の判断への一つの指標となっていくのでした。

電子楽器の黎明期

この時代はまだモノフォニック(単音)のアナログシンセが全盛の時代であり、今でいうヴィンテージシンセが現役でした。

国内では1974年(昭和49年)にヤマハのシンセサイザー第一号であるSY-1が発売され、翌75年(昭和50年)には約700万円という驚異の価格で8音ポリフォニックを実現したGX-1が発売されました。

GX-1はキース・エマーソン、スティービー・ワンダーが使用したことでも知られています。

1977年(昭和52年)、RolrandからMC-8が登場します。
120万円もした高価な機材でしたが、日本では富田勲氏坂本龍一氏のYMOが千のナイフで使用するなどニューウェイブ・テクノなどの新興ジャンルの名盤に使用されました。
この当時のシーケンサーは各社独自の通信規格で相互に使用できる物、できないものが混在していました。
こういった状況を打開すべく、後のMIDI規格策定へと動いていく事になります。

1970年代の電子楽器はまだコンピューターと接続して演奏するという概念を持つものはありませんでした。
MIDI規格の制定が1981年であり標準化された環境も存在せず、コンピューターによる演奏は実験段階にありました。

世界初のパーソナルコンピューターと呼ばれるAltair 8800が1975年(昭和50年)に発売されて3年目。
日本では1977年(昭和52年)に精工舎(現:セイコー株式会社)が国内初のマイコンを発売したばかりでした。
しかし同年、米アップルがApple IIを発売し、世界初のベストセラー機となっていきます。

Apple IIもCPUからスピーカーを駆動することで周波数を変調させることは可能でしたが音楽の制作というには無理がありました。

1978年にはSHARPのMZ-80Kが発売されます。
この機種は単音ではあったものの命令により任意の音階を鳴らすことが出来る、ごく簡単なMMLを搭載した国内最初の機種ではないかと言われています。
勿論単音で尚且つ外部の機器とのインターフェイスもソフトも存在しないので能動的な音楽の制作とは至らないのですが、後のXシリーズへ続くマルチメディア指向の原点と言える機種です。

1979年になってようやく国内で初の大ヒットとなるパーソナルコンピューター、NECのPC-8001が発売されます。
当時の価格は168,000円でした。
後に後継機が発売されるまで君臨しパーソナルコンピューターのNECの名を轟かせていく先駆けとなりました。

この時代にはまだMIDIと並びコンピューターミュージックのスタンダードとして長く親しまれるMMLは浸透していませんでした。

もう一つのコンピューター史・ゲーム業界

コンピューターと電子音楽という世界を俯瞰するにあたって避けて通ることができないのがコンピューターゲームです。

1970年代はコンピューターゲームにとっても黎明期であり、1974年(昭和49年)に発売された日本初のレースゲームと呼ばれるタイトーのスピードレースでも効果音と終了時に鳴る単音のジングルしかありません。

1978年(昭和53年)、日本中を熱狂させるタイトーのスペースインベーダーが発売されます。
社会現象と共に多くの問題を発生させたこのゲームにおいてもまだゲーム音楽というものは見られず、効果音のみとなっていました。

翌79年にはナムコのギャラクシアンが発売され、すがやみつる氏のゲームセンターあらしが連載開始となりコンピューターゲームの存在は社会に浸透していきました。

1970年代、それは来るべき高度情報化社会へ向けた熱量と技術変革による音楽を含む表現や制作の変化が始まった時代であったと言えます。

コンピューターという新しい機器は社会に恐ろしい速さで浸透し、驚異の成長を遂げていきます。
その結果、世界中で「今までになかった」(若しくは出来なかった)事が可能になり、かつて想定されなかった事象にまで特許や権利の問題が発生するようになっていきました。

人間の想像よりもはるかに速く、強大な力を持つようになった「情報」はやがて一人歩きを始めるようになるのです。

次回は1981年からパーソナルコンピューターの黎明期と世界の変化、時代を作ったキーマンの存在に注目します。
更新は10月08日の予定です。

お願い

80年代のBBS全盛の時代のログは機器の破損・紛失や様々な理由で散逸してしまい、入手可能なものは限られています。
80年代を知る貴重な証言を得るための地道な取材を開始しました。

この出来事を深く理解するためには幅広い分野での知見が求められます。
それは私一人ではとても追いきれないかもしれません。
だからこそより多くの情報と証言を求めています。

草の根BBSを運営されていた方や電子楽器・音源などで制作をされていた方のご意見などもコメント・Twitter・マシュマロなどでお待ちしております。

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みるくここあ
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ウィンドシンセを片手に曲を作っています、演奏するのも聴くのも好き。 ゲームとITと変な情報を拾ってくるのが得意。 色々とやっているらしいけど詳細はヒミツ。 オリジナル曲を公開しています。 http://www.nicovideo.jp/mylist/31704203 作曲風景の生放送もしています。 https://rainbowsound.cafe/rainbow-sound-cafe-live/ 音楽やDTMに纏わる話題を色々と書きます。

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