失われた音楽文化、30年の時を越えて – Part 3

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Fairlight CMI

1980年代に入り技術の進歩と社会の変容によって急激に複製という行為が一般的なものに変化していました。
WIPOの資料にも「子供でも簡単にできてしまう」という一文があるように、ラジカセでラジオを録音したり、テープのダビングをするのがごく一般的な文化として急速に浸透していました。

1980年から1983年までの間はまだコンピューターミュージックというものは一般的ではなく、ごく限られた人たちが手探りで開拓している時代であり一般的なものではありませんでした。

MIDIやコンピューターミュージックと文化の勃興を巡る旅は80年代半ばに入ります。

MSX規格

1983年(昭和58年)にはもう一つ忘れてはならないパーソナルコンピューターが誕生します。
アスキーを中心に提唱されたMSX規格です。
80年代にはとりわけホビーパソコンとして根強い人気を誇ったシリーズです。

MSXは入門機としての立ち位置を掲げ、仕様を規定しハードウェアへの干渉を禁じることでメーカーや機種と問わずカートリッジで提供されるソフトが動作するという今でいうオープンアーキテクチャの思想を持っていました。
これは非常に先進的でしたが、同時に時代を追っての高機能化に機敏な対応が出来ない点やホビーユースとしてファミリーコンピューターが圧倒的に低価格であったこともあり、高いゲーム機という見方をされる事が多くその真価は社会には認められなかった不遇なハードと言えるかもしれません。

しかしPSG3和音が出力できる音源チップの搭載と入門向けとしては簡易であったMSX-BASICのお陰でパソコンで音を鳴らすという行為が容易であった事は特筆すべき点だと思います。

Roland MPU-401

1984年(昭和59年)、Rolandからいよいよパーソナルコンピューター用MIDIインターフェイスが発売されました。
MPU-401は外付けのMIDIインターフェイスボックスとなっており、各社の仕様に合わせたインターフェイスボードを介してIBM-PC、Apple II、PC-9801などに接続ができた事で事実上の標準MIDIインターフェイスとしての地位を確立しました。

MPU-401には簡易なシーケンスソフトが付属していましたが、現在のようなグラフィカルなものではなくまだ数値入力式で、1970年代で紹介したRolandのMC-8をベースにしたものでした。
翌1985年(昭和60年)にはRolandから独立した有志によってカモンミュージックが設立され、PC98用のRCP-PC98(レコンポーザー)が発売になると、その価格もあって定番化していきました。

これによりパーソナルコンピューターで音を鳴らすという事が身近になりつつありますが、次の二点はまだクリアされていませんでした。

  1. 演奏ファイルの再現性(同一環境が必要)
  2. 使用音源による再現性

この時点で販売されている音源には音色配列や音源規格という概念がまだないため配布ファイルの環境依存性によって一般化にはまだ遠い状態でした。

そんな1985年当時のプロユース環境については作曲家 安西 史孝氏のプライベートスタジオ動画で見る事が出来ます。

Fairlight CMI、E-MU EmulatorII、YAMAHA QX1など・・・思わずため息が出てしまいそうになりますw

効率の面でもコンピューターミュージックの世界がハードウェアに並び立つまでにまだ時間が必要でした。

サンプラーの登場

1985年(昭和60年)、赤井電機株式会社(現:AKAI Professinal)がS612というサンプラーを発売しました。
1984年に発売されたEmulator IIは坂本 龍一氏や小室 哲哉氏が使用した事もあり有名ですが、安西 史孝氏の動画でも説明がありましたが約300万円という価格で大よそ一般向けと言えるものではありませんでした。

ところがこのS612は17万円と当時のサンプラーの中では異常とも言える価格設定でサンプラーの名を身近にしたのです。

続く86年(昭和61年)には世界で大ヒットマシンとなるAKAI S900が発売になります。
S900は価格こそ倍以上になったものの、それでも当時のサンプラーの中では群を抜いた性能を持っていました。
40kHz、12Bitと今でこそ解像度としてはイマイチですが当時はこの音質で63秒ものサンプルが扱える機種は少なく、価格も普及帯とあってあっという間に普及しました。

Sシリーズ向けのサンプルデータ集も多く販売され、サンプラーと言えばAKAIというイメージがこの時期に醸成されました。

Machintoshの登場

1984年(昭和59年)3月にNECのパーソナルコンピューターが出荷台数100万台を突破します。
この年はパーソナルコンピューターの世界にもその後の世界を二分する出来事がありました。

1月にAppleからMacintoshが発売されたのです。
8月にはIBMが現在の世界標準へ続くPC/ATを発表します。
IBM PC/AT向けに開発されたMicrosoft MS-DOS Ver 3.0もここが始まりでした。

1985年(昭和60年)10月に富士通からFM77AVが発売になります。
この機種が内蔵音源にFM音源を採用した初めての機種ではないかと記憶しています。
FM77AVはFM3音PSG3音と従来の機種よりも充実したサウンド機能を有していました。

同じ年にMSX規格に合流していたヤマハはYAMAHA CX5を発売しています。
楽器メーカーとしてのヤマハの技術を存分に注いだ製品でMIDIインターフェイス、FM音源、さらにはシーケンスソフトも販売され、音楽制作環境として充実したサポートのある国内最初のハードウェアかもしれません。
現在設定中のアンケートでもCX5から電子音楽に入ったという回答も頂いており、コンピューターミュージックというテーマに対してヤマハの選択は確実に影響を与えたと思います。

このYAMAHA CX5こそが、浅倉 大介氏の伝説の始まりであったことも忘れてはいけません。

同年にはAtariがAtari STを発売しています。
これは標準でMIDI端子を搭載したした最初のパーソナルコンピューターで、前年に発売されたSteinbergのPro-16(後のCubase)と合わせ制作環境として大きな人気を博しました。
Atari STから音楽を始めたという方も少なくないと聞きますが、これを選択できる人は完全にプロ志向でありホビーユースは考えない人でした。

1987年(昭和62年)にはSHARPから当時の環境の中では驚異的な性能を誇るX68000が発売されます。
YAMAHAのOPMチップを搭載しステレオ8chのFM音源とADPCMの再生機能と高いグラフィック性能はゲームマニア垂涎であり、バンドルされていたグラディウスを目当てに購入したという人も少なくありませんでした。

この頃になると主要各社のパーソナルコンピューターにおける音楽制作でMMLが一般的になってきます。
各種パソコン雑誌にも演奏プログラムが掲載され、それに触発されて自作する人も増えていきました。
それでもハードウェアという垣根を越えることはなく、機種間での互換性やハード性能による制限によってデータの再現性については決して高い物とは言えませんでした。

これらのデータはパソコン通信で拡散され、遠隔地のユーザーにも伝播していく事になりました。

パソコン通信、有志達の時代

パーソナルコンピューターが一般化しつつあったこの頃ですが、まだパソコン通信は全くと言っていいほど認知されていませんでした。

1984年(昭和59年)1月にCANS、千代田常磐マイコンクラブというBBSが千葉県松戸市で開設されます。
日本語に対応したBBSとして恐らく最古のものがこのBBSだと言われます。
3月には小田原マイコンクラブが開設し日本の草の根BBS誕生の先駆けとなりました。

1985年(昭和60年)に電電公社が民営化されるに伴い電気通信事業法が改正され、モジュラージャック等の基準を満たしていれば個人でも端末設備の接続が許されるようになりました。
これによって音響カプラに代わりモデムが使用できるようになり、パソコン通信がゆるやかに普及していく事になりました。
ここから各地に草の根BBSとポータルとなる大規模なBBSが産まれていく事になります。

85年にはASCII-NET、COARA、86年には後に最大のポータルとなるNECのPC-VANが産まれました。

1987年(昭和62年)にはNifty-Serveも誕生し、電波通信社より刊行された87年版のBBS電話帳には300局以上という電話番号が掲載されていました。

ポータルであったPC-VAN、Nifty-Serve、ASCII-NET等を中心に、全国に散らばる草の根BBSはユーザーを介して弱いながらも接続されおり、情報は様々な形態を経て各地へ拡散していく事になります。

1980年中盤になり、ようやくコンピューターミュージックが親しみやすくなってきます。
まだGM規格もスタンダードMIDIファイルのフォーマットも存在しないため基本的にはレコンポーザーファイル(RCP)ないしMMLがシーンの中心にありました。

電子楽器の世界ではサンプラーも登場し、生音を鳴らせばよいのでは?という解決方法に一つの目安が産まれます。
しかしまだコスト的に現実的ではなく、後にそれを解消するためのトリックを持った音源が登場します。

ゲーム業界は映像と音声に特化して進歩することで、この頃はパーソナルコンピューターの一歩も二歩もいく性能になっていきます。
1985年(昭和60年)に発売されたコナミのグラディウス、翌86年にはセガのアウトランとゲーム史に名を刻む名作がリリースされますが、これらはゲーム音楽の歴史にも名を刻む名作です。
ゲーム音楽というジャンルはこの頃に確立され、各メーカーのサウンドチームがライブを実施するなど独自の文化を築いていくことになります。

プロユースとパーソナルユースの製品には大きな溝があり、音楽用で使用するのであればパーソナルコンピューターよりもハードウェアシーケンサーを所有する人も少なくありませんでした。
そしてこの時代のハードウェアシーケンサーのデータ保存はまだテープへの書き込みであり、簡単にやり取りできるものではありませんでした。

85年の電電公社民営化を境にようやくパソコン通信も一般的なものになろうかという時期に差し掛かりますが、上記の理由からまだハード依存のMMLが交換の中心にありネットワークにおけるMIDI文化というものは芽生えていません。

パーソナルコンピューターとMIDIが真の意味で結び付くのはこの少し後の話になります。

次回は1980年代後半、MIDI音源として最初のヒットとなったあの音源の登場で市場に変化が訪れます。

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みるくここあ
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ウィンドシンセを片手に曲を作っています、演奏するのも聴くのも好き。 ゲームとITと変な情報を拾ってくるのが得意。 色々とやっているらしいけど詳細はヒミツ。 オリジナル曲を公開しています。 http://www.nicovideo.jp/mylist/31704203 作曲風景の生放送もしています。 https://rainbowsound.cafe/rainbow-sound-cafe-live/ 音楽やDTMに纏わる話題を色々と書きます。

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