失われた音楽文化、30年の時を越えて – Part 8

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Photo by Nick Scheerbart from Unsplash

本格的なネットワーク時代と共に、21世紀がやってきました。

Windowsのスタンダード化によってコンピューターと音楽を取り巻く環境は一変しました。
優秀な圧縮フォーマットであるMP3の出現によりオーディオデータで音楽を扱えるようになったことでリスニング環境にハードウェア音源を必要としなくなり、DTMと音源の関係も大きな変革を迎えていました。

そしてオーディオデータが簡単に複製されネットワーク上での著作物の取り扱いについて厳しく対応する必要に迫られる中、通信カラオケや着信メロディ等の新しい音楽のサービスが台頭し、柔軟な利用と厳格な管理の狭間で業界もJASRACも苦しんでいました。

時は2001年、ネットワークと電子音楽の関係はNMRCとJASRACの合意したタイムリミットであり後にMIDI狩りと称される運命の日は目前まで迫っていました。

以前の記事では当時の記憶と環境の推論からミスを含む何かがあったのではないかと記しました。
本シリーズ8回を通して様々な側面と、当時の団体職員、現在も存続する団体、当時のユーザーなどに直接取材を行いデータの収集を行いました。
その中でその実態についてもある程度把握が出来たので実際のデータと照合していきたいと思います。

2001年のMIDI事情

2001年前後の個人サイトなどは相互リンクという形で傾向の近いサイト同士が繋がったり、リンクサイトというカテゴリーインデックスに登録することでつながっているケースが多く見られました。
MIDIカテゴリーにもそういった個人運営のサイトが多数あり、1999年頃のMIDIインデックスサイト大手であるComputer Music Centerでは同じく大手インデックスサイトであったEternal Windと共同で参加者を募って楽曲制作のコンテストなども行われていました。

コンテストの課題曲は風の谷のナウシカの鳥の人(JASRAC 056-0300-5)でした。
2001年の徴収開始を目前に控え、2chやインデックスサイトでも使用料の話題が過熱し始めた2000年頃の時点でも、JASRAC管理楽曲を含む楽曲を公開しているサイトが254件登録されていました。

このサイトでは、ネット上のお奨め音楽データを管理者の独断と偏見に基づいて紹介しております。

2001年頃になるとそういったインデックスは表舞台から消える事になりますが、サイト自体は存続していました。
具体的な対策の無いまま存続していたサイトはJASRACからの通知メールを受け取ったものと考えられますので、当時の掲示板などの状況を考えれば大量のサイトが通知を受け無差別にMIDIファイルの削除を求めたように見えたことは容易に想像ができます。
しかし実際には通知を受け取る対象が大量にあったことも事実でした。

そして2001年8月にはヤマハが運営するJASRAC管理楽曲の公開も可能であったプレイヤーズ王国と、着信メロディの配信を行っていたJ-sky研究所が運営されていました。
現在で言うUGCサービスの初動もしっかりと受け皿として存在をしており、実際プレイヤーズ王国でJ-POPカバーのデータを公開したり、XGコンテストと称してヤマハが開催する楽曲コンテストなども盛んに行われていました。

同時期の変遷

Part 6で紹介したように、1999年頃までの間に内蔵音源向けに制作されたファイルの再生環境は相対的に縮小しました。
パソコン通信から継続してシーンを見てきた人にとって1998年頃から2001年までの状況を鑑みると、何もかも消えてしまったように見えたのでしょう。
その為「内蔵音源を含むMIDI音楽」という良く分からないカテゴリのワードが発生して全てJASRACが悪い!!という印象に凝り固まってしまう結果になったのだと考えられます。

実際には次のような理由でDTMのデータが拡散・散逸していました。

  • FM、PSG等の音源を搭載したパソコンが登場しなくなった
  • MP3の出現によりオーディオデータがリスニングの中心になった
  • 着信メロディの制作に移行したり、プレイヤーズ王国への移住など制作者が分散した

こういった状況の中で警告のメールの情報が掲示板などに不正確な形で拡散していった事で状況は錯綜していく事になりました。

文化は本当に死んだのか?

これらの出来事の結果、MIDI文化が衰退したことで音楽産業に影をさしたのだという言説も多く見られます。
街頭から音楽が消え、MIDIデータは消滅し、音楽を愛する人間が育つはずがない。

本当に文化が死に、音楽業界は衰退してしまったのでしょうか?

その答えは資料から読み解くことができます。
日本レコード協会の発表資料などでは音楽ソフトウェアの売上データを確認することができますが、言われるように1998年のピーク以降音楽CDの売り上げは右肩下がりを続け市場が大幅に縮小した事は明らかです。

しかし実際には音楽の利用は縮小をしていませんでした。
それは1999年からサービスインした「ポケメロJOYSOUND」から始まる着信メロディの市場が急激に成長し、それに倣って音楽業界も「着うた」や「着うたフル」というサービスを開始したことでダウンロード配信事業を拡大していたからです。

CDで聞く音楽から、ダウンロードする音楽への変遷は2000年頃から移行が開始され、携帯電話を手にした若年層を中心に急激な市場の変化が起きていたのです。

音楽文化は2000年を境にあらたな時代を目指してインターネットへの適合と共存を開始しており、衰退したり消えたりした事実はありませんでした。

変わりゆく世界に

1980年、パーソナルコンピューターの黎明期から音楽と楽曲データの歩みを追ってきたシリーズも一つの結論を見る事ができました。
多くの資料と識者の方々のご意見や情報提供を頂き、また当時の関連団体への問い合わせに対しても真摯なご回答を頂くことができたことで自分の中でも長く欠落したままであったピースを見つけることが出来たと感じています。

実に30年を超える時を遡り、様々な変化を乗り越えて今に至る長い道のり。
規定の柔軟化や多くの人の知見と新たな音楽制作環境などによってかつてない活況を迎えているアマチュア音楽シーン。
失われたとされるマインドは今に至るまで死に絶えることはなく息づいています。

時代の変化に合わせた音楽業界の収益構造の変化とそれに対する著作権法の改正、徴収規定の変化などは時に利用者を困惑させることもありますが、その結果として自由な利用がルールの中で認められる現在の環境が形作られているのです。

1973年(昭和48年) 6月に検討された文化庁第二小委員会の報告書の中に、旧著作権法時代の判例の引用がありました。
そこにはこのように記されています。

著作物の範囲は、しだいに広く解釈される傾向に進んでおり、旧著作権法下において、すでに東京地方裁判所は、著作権侵害被告事件の判決(大元、11、11)において「文明ノ進歩ト学術ノ発達トハ、日ニ月ニ新思想及ビ新材料ヲ供給シテ止マザルベキヲ以テ、著作権ノ目的物ニ対スル規律範囲モ、世ノ進運ニ伴ヒ其適用ヲ拡張スベキヤ多言ヲ要セズ。」と述べている。

– 昭和48年6月 文化庁第2小委員会報告書

1973年より遥か以前から、拡がっていく世界とやがてくるボーダーレスネットワークの時代まで通じる言葉が残されていました。

時代の変化、ユーザーの変化に対して同じように追従していく。
それは著作者の財産たる著作物の適正な利用管理において重要な事であり、利用者たるユーザーにとっても正しいルールでの使用によって柔軟な使用が可能なるように、相互にとって最適解を求め続ける永遠のテーマなのだと思います。

音楽著作権においては、管理団体・業界団体・そしてそれを牽引したキーマンの努力によって一つの成功モデルとなったと言っても良いのではないでしょうか。

失われた物だけを見つめれば、生まれた物は見えなくなるのかもしれません。
世界は常にアップデートされ、日々新たなサービスやあらたな作品が誕生し続けています。

音楽は本当に2000年前後を境に死んでしまったのか?
その答えはNoですし、1980年にMIDI文化が刈り取られたという言葉もNoでした。

様々な変化を越えて姿を変えていく創作と世界の関係は今まさに新たな変化に直面している最中だとも言えます。
音楽が乗り越えてきた変化と同様に、関係団体や業界団体の協力と対話がしっかり行われなければ大きな歪みを生み出してしまうかもしれません。

ユーザーの自由が著作者の権利と共存しつつより良い文化を形成していける、そんな環境を守り育てていくには一人一人の意識もアップデートされていく必要があるのです。
その変化を言葉として、行動として示していく事が出来ればよい方へ向かっていけるのではないかなと期待をしています。

8回にも渡るシリーズとなってしまいましたが、最後までお付き合い頂き本当にありがとうございました。

参考文献・資料

文部科学省
教育白書

外務省
世界貿易機関(WTO)

公益財団法人著作権情報センター
著作権審議会/文化審議会分科会報告

PC-VAN小史

藤本健のDTMステーション

魔法使いの森
MMLの成立

ぐうたらずのーと
サウンド機能の歴史

電子ネットワーク協議会
各種資料及び情報の照会

NMRC
各種資料及び情報の照会

AMEI
各種資料及び情報の照会

新世代通信網実験協議会
季刊誌BBCC – インターネット時代の著作権問題

日本レコード協会
調査・レポート各種資料

全国カラオケ事業者協会
カラオケ歴史年表
カラオケ白書
協会ニュース

日高良祐氏
音楽配信事業者としての電子楽器産業
DTM文化の盛衰─1990年代のアマチュア・ミュージシャンによるMIDIデータ流通─
メディア技術史から見る同人音楽──パソコンユーザーによる即売会の利用

電波新聞社
BBS電話帳

インプレスR&D/OnDeck編集部
日本の電子出版を創ってきた男たち: この声を聞かずして、電子出版を語るなかれ。

日本弁理士会
月間パテント – 近年の音楽業界をとりまく著作権上の問題に関する研究

藤本 健氏
DTMの原点 Vol.1
DTMの原点 Vol.2
DTMの原点 Vol.3

アンケートにご協力くださった皆様

DMで情報をご提供くださった皆様

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About みるくここあ 318 Articles
ウィンドシンセを片手に曲を作っています、演奏するのも聴くのも好き。 ゲームとITと変な情報を拾ってくるのが得意。 色々とやっているらしいけど詳細はヒミツ。 オリジナル曲を公開しています。 http://www.nicovideo.jp/mylist/31704203 作曲風景の生放送もしています。 http://rainbowsound.cafe/rainbow-sound-cafe-live/ 音楽やDTMに纏わる話題を色々と書きます。

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